12月25日のクリスマスの夜。生まれてからずっと僕のことをかわいがってくれたばあちゃんが亡くなった。コミュニケーションを取れないような状態になって1年半。少しずつ死に向かっていく様子を見るのは悲しかったが、いざ、本当にいなくなってしまったと思うと、静かに悲しさがしみてくる。
通夜の席で、ばあちゃんとの思い出を話せ、と父に言われたので、ちょっと考えてみたことを、メモ代わりにここに記しておこうと思う。
かずら橋。徳島県にかずら橋というつり橋がある。まだ僕が小学校を出て中学に入ったばかりのころだったか、家族で四国を旅して回ったとき、この橋も訪問地のひとつに含まれていた。前日はひょっとしたら雨だったかもしれない。つり橋までの道はがけっぷちに沿って下り坂になっていて、柵などない。下を見下ろせば50メートルくらいの断崖絶壁。ここで祖母は足を滑らせてころころと転がった。
当然、子どもながらに死んだと思った。心臓が止まるかと思った。…が、がけに落ちるほんの手前で踏ん張った。あの恐怖は一生忘れない。あれから20数年、思えば長生きしたもんだね、ばあちゃん。
次は「おもちゃの福袋事件」。千葉のそごうだったと思う。新年に買い物に行って、ばあちゃんにおもちゃの福袋を買ってもらった。一緒に来なかった弟の分も1つ買ってもらった。そのあと、ついでに寄ったおもちゃ売り場で、ほしかったロボコンの超合金も買ってもらった。
そのとき、ばあちゃんは僕に入れ知恵をした。別に買ったそのおもちゃは、福袋に入っていたことにしなさい、と。僕は言われるままにせりふを練習したっけ。そして家に帰ったあと、福袋を1つ弟に渡した。弟が中身をひとつずつ取り出すと、中身は僕の福袋の中身と同じ。つまり、僕の福袋には、弟のと同じおもちゃに加え、燦然と輝く立派な超合金が入っていたわけで…。
教えてもらったせりふを言ったところで、幼い弟の疑いはおそらく、今も晴れていないと思う。
思い出を書いていくと、書ききれない。生まれてから長い間、同じ屋根の下で暮らしてきたから、今、すっかり忘れていて、あとでふと思い出すことなんかもあるんだろうな。
僕がシベリアで死んだだんなさんに似ていたせいもあるのかもしれないが、ほんと、たくさんかわいがってくれたばあちゃん、ありがとう。いっぱい愛情をもらったよ。返しきれなかったのが残念だけれど、夢で会ったときに少しずつ、返すからね。