2011年1月10日月曜日

マジック


008/2011

両国ジャンクションを下から撮影していたら、
散歩していた近所のおじいさんに、
ジャンクションを見下ろせる
近所のスポットを教えてもらった。

一人でいたら絶対に見つけられない場所。
おかげでこんな風景に出合うことができた。

ありがとう。

でも、高いところは好きではなく、
上に登ってみたら、怖くて腰が引けた。
写真のアングルだけではなく、ね。

いつも通った道。


父が昔勤めていた場所は、
今、スカイツリーの建設が進む押上にあった。
うちは世田谷だから、父の職場まで父を迎えに行くとき、
首都高速都心環状線から6号向島線に抜けるルートは定番だった。

そして親戚が幕張に住んでいたから、
6号向島線から分岐して千葉方面に向かう、
7号小松川線も定番のルート。

子どものころはもちろん運転などしない。
でも、助手席に座って何度となく見たルートだから、
どのくらいの角度で曲がっていくか、
どの車線を走れば最も効率がよいか、
そんなことが自然のうちに記憶に刻まれている。

そんないつも走っていたルートを、
下から見上げてみると、
印象はガラッと変わる。

海上を進む船の船底を海底から眺める気分。
こんな姿をしていたなんて、
上を行くだけでは気が付くわけがない。

2011年1月8日土曜日

上での感覚が変わってきた

首都高は子どものころから、
何度も何度も通っている道。

上を移動するだけだったときは、
何も考えることがなかった。

下から見るようになって、
上での地理関係が
より明確になっただけでなく、
ハンドルを切るたびに、
いろいろな光景が頭をよぎるようになった。

Rainbow Bridge

2011年1月6日木曜日

変身

今日は
こんな感じで変身した。
途中、ツイートに見苦しい点があったことを、
この場を借りてお詫びしたい。



エキスパートかただの変態か

Loop Bridge at Night, Shibaura, Tokyo

気がつくと、
Flickrのページが首都高だらけになっている。
ここ何日かは、ほかの写真は
iPhoneのスナップだけというありさま。

「たまにはほかの写真もアップしな、
じゃないと変態に思われる」

そんな天の声が聞こえる一方で、
「とことん極めてエキスパートを目指せ」
という別の声も聞こえる。

首都高に引かれるのは、
直線や曲線でフレーム内を
様々に描くことができるから。

首都高ジャンキーというわけではなく、
ほかに魅力的なシリーズを見つけて、
今年はそれに挑戦してみたい。

そんなふうにも思っている。

ところで、上の写真はFlickrの別アカウントから。
メインのアカウントはほかにあるので念のため。

最近

昼間に写真を撮っていない。
昼間にインスピレーションがわかない病。
東京にいると、夜、動いたほうが、
面白い写真が撮れる、個人的には。

でも、人を撮ったりすることにも、
チャレンジしてみたいと思いつつ、
人に似たもので練習してみたりもする。

2011年1月5日水曜日

自転車をこぐと

朝、自転車のペダルに力を込めたとき、
その日の体調がなんとなく分かる。
調子のいいときは自転車がすいすい進む。

今日の調子はまあまあ、か。

ところで、日々街中を進んでいて思うのだが、
車のドライバーの中に、
住宅街などで歩行者に恐怖感を与える
運転をする人がいる。

自分は車の運転がうまいとうぬぼれているからか、
かなりのスピードで突っ込んでくるから、
自転車、歩行者が思わず身を避ける。

そんな運転、うまくもなんともない。
本当にうまかったら、
怖くてスピードなんか出せないよ。

でも、下の写真を撮っているような
人間を見かけたら、
ちょっとくらい恐怖感を与えたほうが、
その人の今後のためかもしれない。

The 9th of April, 2009

2011年1月4日火曜日

部品


高架の下に立ち、
上を行く車の音に耳を傾ける。
ハイウェーの連結部を車が通過する音は、
巨大な工場に響き渡る機械の作動音のよう。

僕はその心臓部に立っているような
気分にとらわれる。

高架の上に目をやると、
等間隔に進むトラックの列が、
まるでコンベアーの上を流れる荷物のように、
するすると進んでいくのが見える。

そのトラックをドライブするのは人なのか、
それとも「人」という名のトラックの部品なのか。

そもそも、何かの部品じゃない人間なんて、
この世に存在するのだろうか。

2011年1月3日月曜日

東京スカイツリーも通り過ぎ


日が暮れた後、
天気がいいと、最近、
自然と車を走らせている自分がいる。

新宿の高層ビル街を通り過ぎ、
東京タワーを横目に眺め、
気が付けば
建設中の東京スカイツリーも通り過ぎていた。

この風景を撮りに来たわけではないのだが、
記念に一枚。

2010年12月27日月曜日

ばあちゃんの思い出


20080913-05


12月25日のクリスマスの夜。生まれてからずっと僕のことをかわいがってくれたばあちゃんが亡くなった。コミュニケーションを取れないような状態になって1年半。少しずつ死に向かっていく様子を見るのは悲しかったが、いざ、本当にいなくなってしまったと思うと、静かに悲しさがしみてくる。

通夜の席で、ばあちゃんとの思い出を話せ、と父に言われたので、ちょっと考えてみたことを、メモ代わりにここに記しておこうと思う。

かずら橋。徳島県にかずら橋というつり橋がある。まだ僕が小学校を出て中学に入ったばかりのころだったか、家族で四国を旅して回ったとき、この橋も訪問地のひとつに含まれていた。前日はひょっとしたら雨だったかもしれない。つり橋までの道はがけっぷちに沿って下り坂になっていて、柵などない。下を見下ろせば50メートルくらいの断崖絶壁。ここで祖母は足を滑らせてころころと転がった。

当然、子どもながらに死んだと思った。心臓が止まるかと思った。…が、がけに落ちるほんの手前で踏ん張った。あの恐怖は一生忘れない。あれから20数年、思えば長生きしたもんだね、ばあちゃん。

次は「おもちゃの福袋事件」。千葉のそごうだったと思う。新年に買い物に行って、ばあちゃんにおもちゃの福袋を買ってもらった。一緒に来なかった弟の分も1つ買ってもらった。そのあと、ついでに寄ったおもちゃ売り場で、ほしかったロボコンの超合金も買ってもらった。

そのとき、ばあちゃんは僕に入れ知恵をした。別に買ったそのおもちゃは、福袋に入っていたことにしなさい、と。僕は言われるままにせりふを練習したっけ。そして家に帰ったあと、福袋を1つ弟に渡した。弟が中身をひとつずつ取り出すと、中身は僕の福袋の中身と同じ。つまり、僕の福袋には、弟のと同じおもちゃに加え、燦然と輝く立派な超合金が入っていたわけで…。

教えてもらったせりふを言ったところで、幼い弟の疑いはおそらく、今も晴れていないと思う。

思い出を書いていくと、書ききれない。生まれてから長い間、同じ屋根の下で暮らしてきたから、今、すっかり忘れていて、あとでふと思い出すことなんかもあるんだろうな。

僕がシベリアで死んだだんなさんに似ていたせいもあるのかもしれないが、ほんと、たくさんかわいがってくれたばあちゃん、ありがとう。いっぱい愛情をもらったよ。返しきれなかったのが残念だけれど、夢で会ったときに少しずつ、返すからね。